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状況のなかのメディア



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最初に、最新の You Tube から選んだ、評価の高い動画をご紹介します。

Michael Jackson performs the beautiful ballad "With A Child's Heart" on Soul Train in 1973. Michael was 14. The Jackson 5 were enormously successful at this point, but Michael always came back to Soul Train to visit his old friend, Don Cornelius.With a Child's Heart" was released as the first single from Michael's 1973 album Music & Me. Clip includes a photo montage as Michael sings one of Don's favorite songs. Author: soultrain Keywords: michael jackson soul train don cornelius king of pop jermaine tito randy marlon jackie joe latoya moonwalk thriller off the wall with child's heart music me Added: June 25, 2009




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小沢一郎へのメディアテロ(4)

今日もこのサイトに見に来てくれてありがとうございます。

小沢一郎へのメディアテロ(4)

■ 目次

◆ 初めに
◆ そのまんま東、総理の座を要求
◆ チチコフ現る
◆ 思考停止のメディアスクラム
◆ 小沢一郎へのメディアテロ
◆ 小沢バッシングの企み


◆ 初めに

記事をアップしようとしていたところに、面白いニュースが飛び込んできた。
タレントのそのまんま東(東国原英夫 宮崎県知事)が、23日、宮崎県庁で自民党の古賀誠(選挙対策委員長)と会談し、次期衆院選で自民党からの出馬を要請されたという。

面白かったのは、そこでそのまんま東が出した2つの条件である。


◆ そのまんま東、総理の座を要求

1つは、自民党が自分を次期総裁候補として衆院選を戦うこと。
もう1つは、全国知事会がまとめたマニフェスト(政権公約)を一言一句漏らさずに自民党のマニフェストに盛り込むこと。

古賀は「お聞きしました」と述べて、テレビカメラを入れての茶番劇の第1幕は幕。

こういうのは面白すぎて、あるいは笑いすぎて、すぐにはコメントのしようがないが、自民党も落ちるところまで落ちた、というのが大方の感想のように思われる。立候補してあげてもいいが、そのかわり自分を総理にしてくれ、というわけだ。こんな田舎芝居をメディアの前でやらねばならないほど、自民党は追い込まれたということか。

自民党はただ自分たちのためにそのまんま東の人気を利用しようとしただけであり、そのまんま東もそのことはわかっていて、宮崎からの逃亡劇、タレント活動に便利な東京進出に自民党の窮状を利用しようとしただけである。

つまり自民党は国民のことなど眼中になく、そのまんま東は県民のことなど考えてもいない。2つの無責任がぶつかりあって、究極のポピュリズムが露出した。

そのまんま東は、まだ県知事として1期も終えていない。政治家としての実績は何もない。ただ芸能活動の片手間に県庁に判子を捺しに戻って、やたらとメディアにこびているだけの三流芸人だ。
宮崎県民のためには、県庁がシロアリに食いつぶされて修復不可能になる前に、さっさと出ていってくれた方がいいのだが、国民としては、間違っても大臣になって、仕事は官僚お任せで、タレント業に精を出してもらっても困るのである。

古賀よ、この世には、これをやれば我が身に有利とわかっていても、してはならないことというのがあるのだ。
これでは小泉純一郎と同じ政治手法になる。郵政民営化で国民をだまし、今度は地方分権(そのまんま東)で国民に目つぶしをくれる。
その手法の帰結はすでにはっきりしているのではないか。小泉のこの手法のために自民党はもがき苦しむことになったのではないか。

宮崎県庁の階段は笑いと歓声に満ちて上るが、テレビに映らないその先は闇にのまれてがけっぷちになっている。そのことはそのまんま東が一番よく知っていることだ。

今回の田舎芝居の仕掛け人は、元国土交通相の中山成彬だという説がある。中山は、日教組批判で閣僚を辞任したものの、まだ政治商売のうまみが忘れられなかった。そのまんま東を東京に追い出した後、自分が宮崎県知事に立候補するつもりだというのだ。

哀れなのは宮崎県民である。そろそろ宴の酔いから目を覚ますときではないか。
知事職は、二足のわらじを履けるような簡単な仕事ではない。東京のテレビに出るようなヒマと体力があったら、知事たるもの、地元に張り付いて、荒廃した山間僻地や、農漁村、疲弊した商店街を視察すべきなのである。
あるいは県財政の危機的状況を県民に正確に報告し、県庁の腐敗を点検し、地方官僚の既得権に斬り込み、県財政の無駄遣いをなくせばいいのである。

視線は常に東京のテレビを向いており、発言は、いかにもテレビが喜びそうな話題性のあるものばかりである。深刻な地元の問題には触れず、せいぜいマンゴーや地鶏の宣伝に務める。テレビは無責任に面白がり、ほんとうのことをいわないものだから、当人も、県民の一部も勘違いしてしまった。
その結果が、立候補してやるから総理の椅子を準備しろ、という増長を生んだ。まさに、豚もおだてりゃ木に登ったわけだ。
この三流芸人の極端な思い上がりと宮崎県民の不幸には、メディアの責任が非常に重い。

わたしはそのまんま東の芸能活動を見せつけられる度に、宮崎県民がかわいそうでならなかった。宮崎県民は、いずれシロアリに食い尽くされてボロボロになった県政を見せつけられるか、その前の逃亡劇につき合わされるか、どちらかだったのである。


◆ チチコフ現る

宮崎の現状は、『死せる魂』のチチコフが村にやってきて、奇怪な話(実際には死んでいるが、戸籍上ではまだ生きている農奴の購入)で村人をだます話に似ている。
チチコフはこの幻想の農奴を抵当にして銀行から金を借りるのが狙いだった。ロシアの厳しい風土のなかでは、チチコフのペテンは暴かれて、かれは逃亡するのだが、他の県にふらりと現れて、またぞろ同じペテンを繰り返す。

今回の茶番劇に当てはめると、農奴は死せる自民党総裁ということになろう。総裁は、現実的には死んでいるのだが、法的にはまだ存在していることになる。
日本の風土では、メディアと政権党の劣化が著しく、大まじめに耳を傾けて、チチコフを国政選挙のキーマンにまで押し上げる。果たして日本のチチコフは、この死せるポストを手に入れることができるかどうか。


◆ 思考停止のメディアスクラム

メディアの退廃が深まっている。
わたしがメディアに期待するのはその圧倒的な影響力である。決定的な影響力といってもいい。その力が、二度と国民を戦争の惨禍にさらさない力になってほしいということだ。メディアには戦争の防波堤になってほしいのである。
しかしわたしたちが目にする日本のメディアは、このような問題意識が、あたかも無い物ねだりであるかのような惨状を呈している。

わたしたちは、テレビや新聞の政治欄を見るたびに、様々なバリエーションはあるが、結果的にはかならず次の選挙で政権交代があってはならないと洗脳されることになっている。その洗脳のターゲットとされたのが小沢一郎というキーワードだった。

そのメディアスクラムの破壊力は、次の総理候補と目された、少数野党候補を、党首の座から葬り去ることさえできることが、今回の集中的な小沢バッシングで証明された。

しかし今のままでは、日本のメディアはますます司法官僚の番犬に堕していくと思っている。
やがて司法官僚から政治権力の手にメディアの支配者が代わり、戦前と同じ大本営発表を忠実に国民に垂れ流すだけの存在に堕していくと思っている。

すでにその萌芽は露出している。
最近の事象をあげつらっただけでも、小沢一郎だけに的を絞った、不公平なバッシング(「放送法」第3条の2は、「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては、「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」としている)、北朝鮮のミサイル発射の誤報騒ぎ、新型インフルエンザ報道に見られる、舛添厚生労働大臣のパフォーマンスに踊らせられた、世界が仰天するようなパニック報道とその後の一転した無関心、そして北朝鮮後継者問題を巡る誤報道と大騒ぎ。

共通しているのは思考停止のメディアスクラムだ。
その思考停止のメディアスクラムには非常に怖いものがある。日本の政治家のなかには、北朝鮮のミサイル発射基地への先制攻撃を主張する者まで出てきた。その冷静さを欠いた、想像力のない発言を聞いていると、この国の未来は、けっして太平洋戦争の教訓を生かしたものにはならないのではないかと暗澹たる思いに駆られる。
もし北朝鮮のミサイル基地を叩けば、その後、北朝鮮、韓国、日本、中国、アメリカで、何十万、何百万の兵士と民衆が殺され、難民で各国はあふれかえることになる。
日本を覆っている思考停止とは、別言すれば想像力の欠如であり、法令遵守さえきちんとやっていれば、ことたれりとする空気である。


◆ 「説明責任」と小沢一郎へのメディアテロ

もう一度、メディアは冷静になって、民主党代表小沢一郎に加えたバッシング、メディアリンチ、メディアテロを読み直し、見直してほしい。それは、同容疑の自民党議員との不公平、差別、小沢一郎だけに的を絞った人権蹂躙、事実とは違った報道、意図的な悪意のある編集、名誉毀損のオンパレードになっている。今日のメディアの頽廃を証明するのに格好の材料を提供している。

権力によって、あるいはそのお先棒を担ぐメディアによって「説明責任」という言葉が流行語のように一人歩きしている。
「説明責任」とは何だろうか。いったいそれは誰に向かっての「説明」であり、誰を納得させれば「説明」はすむのか。納得は量的な説明の回数でなされるのか。それとも説明の時間的な長さか。
そうではあるまい。相手を了解させ、納得させた時点で「説明責任」は果たされるのである。しかしその相手とは誰か。実は「説明」の「合否」を仕切っているのは、権力であり、メディアなのである。したがって、次の衆議院選挙で自民党が勝つまで「説明責任」は終わらないのだ。

自明のことを述べねばならないが、あらかじめ国策捜査のターゲットにされた少数野党の党首が絡む問題に、政権党や、現在のメディアが了解し、納得するというようなことはありえないのだ。いつまでも問題を引き延ばし、問題を針小棒大に国民に見せかけ、次の選挙の民主党攻撃の矢にこの「説明責任」が使われているにすぎない。
それより、同じような問題を抱えながら、なぜ自民党の代議士秘書は逮捕されず、メディアは小沢一郎と同じように自民党の代議士をバッシングしないのか。
自民党とメディアにこそ国民に向けた「説明責任」があるように思われる。

与謝野馨(財務・金融・経済財政担当相)と渡辺喜美(元行政改革担当相)が、商品先物取引会社のダミーの政治団体を通じ、迂回献金を受けていた迂回献金疑惑が浮上している。
与謝野に献金していたのは、商品先物取引会社「オリエント貿易」の元オーナーが代表を務める政治団体である。この会社の管理職社員の給与から毎月天引きした金を寄付の形で受け取り、献金に回していたという。これは西松建設の裏献金と酷似している。
与謝野馨は現職の大臣である。その意味で小沢以上にメディアはこの問題を採り上げないといけないのに、扱いは非常に小さい。メディアの姿勢は、小沢の1ヶ月に及んだ連日のバッシングと比べると雲泥の差がある。まるで、それはクーデター報道と交通違反報道ほどの落差だ。
これではあまりにも小沢がかわいそうだ。メディアによっては、与謝野を採り上げたついでに小沢を蒸し返して、またぞろ叩き始める番組もあって、権力の番犬としてのこの国のメディアの頽廃は底知れぬといった状態である。


◆ 小沢バッシングの企み

この扱い方の違いは何から生まれるのか。
今回は、メディアの、権力の番犬と化した頽廃の他に、もうひとつの根拠を見てみよう。
メディアは、とりわけ民放の存続は広告に依存している。そこからどのように高邁な政治談義をしていても,テレビの場合は視聴率に、新聞の場合は新聞の発行部数に依存するという、商業主義のしばりが存在している。そこから政治欄、あるいは政治番組までもがポリュリズムに陥る。

いかに売り上げに寄与するか。いかに視聴率に寄与するか。その答えは、いかに面白くするか、センセーショナルに報道するかに帰着する。別の側面から見れば、そこで選択されたのが小沢というキーワードだった。

このキーワードには、ただ面白いだけでなく、大きな副産物があった。
それは権力の側に立ち、少数野党の党首へのテロを繰り返すことによって、権力を喜ばせ、自らは身の保全を図れたからだ。
かつて田中角栄へのバッシングを繰り返したときの立花隆(背後には、小躍りした福田派の存在があった)と酷似した客観的構図が背景にある。

ひとつのメディアがその方法をとれば、それは決定的だった。なぜならそれは売り上げや視聴率に寄与する決定的な競争だったからである。ここから、もともとからあったメディアスクラムが生まれた。

コメンテーターという名の知の商人たちは、少ない例外も存在するが、一様にメディアの方法に迎合した。なぜなら明確にわかっているメディアの姿勢に協力しなければ次の出番がなくなるからだ。

東京地検が情報をリークしているといわれている。その地検の窓口の人物は、よほど日本のメディアを馬鹿にしているのであろう。
情報の餌をまけば入れ食いの状態だった。ワイドショー並の情報を、メディア毎に分けて与えれば、オモシロおかしく報道してくれる。これで起訴をしやすくなる。政権交代を生涯の政治課題にした、権力闘争の片側の政治家を葬り、権力に恩を売り、これで出世はまちがいないところだろう。

検察とメディアの暴走を防ぐにはどうしたらいいか。これは倫理の問題としてではなく、制度の問題として早急に担保する必要があろう。それは我が国の民主主義と平和な発展のために必要なことのように思われる。


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